未発の可能性

                                             高野圭介

「未発の可能性」

歴史が事実として展開するとき、
そのそれぞれの時点にはいくつかの選択肢がある。
その選択肢のなかのひとつだけが歴史として展開するわけだ。

それぞれの時点における何らかの条件(状況)いかんでは、
事実として展開しなかった別の選択肢が選ばれ、
現実のプロセスになったかも知れないのである。
この実際には展開しなかったが、
展開する可能性のあったものを、
「未発の可能性」とよんでいる。


それは
歴史の禁句としての「もし」の問題ではないかという人もあろうが、
ここでいう「未発の可能性」は史料から読みとれる限りで、
現実に展開する可能性のあった選択肢を指すのだから、
フィクションとしての「もし」とは明らかに異なる。

いや、
この「未発の可能性」を視野に入れて歴史を見る方が
歴史の解釈はより豊かになるといってよいだろう。


−『昭和という国家』司馬遼太郎著−
解説「雑談『昭和』への道」のことなど 田中 彰より


歴史の手法

碁の手法


さてさて、
囲碁は人生に例えられる。同様に、歴史ににも。

今、
一局の棋譜を紐解き、SGFファイルを作ってみよう。
どこかの、転機となる着点から、参考図を作ろう。
そして、同じくSGFファイルを作ってみよう。

盤上に表れなかったヨミこそ「未発の可能性」である。

この「未発の可能性」を視野に入れて碁の検討を加えると
碁の検討はより豊かになるといってよいだろう。


人生の初手
問題はここからだ。

着点をバックして初手まで、一手一手戻ってみよう。
言うなれば、碁の検討である。
そして、いよいよ初手まで返り着く。

アダムとイヴが
りんご園から手をつないで脱出するところまでも返らなくても、
せいぜい敗戦記念日とか、自分の誕生日ぐらいでもよい。
わが人生の初手あたりである。


星の持つ意味を


初手ないし第3手を星に打ったか、小目だったか、
何でもないようだが、
星の持つ意味を深く堀リ下げると
いよいよ
当初から「未発の可能性」に裏書きされていたのを知る。

四柱推命でいう定められた人生ならぬ、碁の成り立ちというか、
スリムなレスリングのような碁、相撲取りのブチカマシのような碁、
はたまた大名のようなおっとりした碁。

つまり、
最初から星打ちか小目か、はたまた目外しかによって、
メタポか、筋肉質か痩せの大食いかどうかの
岐路に立っている
自覚を持ちましょう。