車椅子の母





車椅子の母 No2 (最終弁論の続き)


 車椅子の母  No3.  (涙の判決)


                                      土佐 保子

認知症の母
最近、泣いたことがあります。

 2006年2月、京都で心中を図ろうと認知症の母を殺害した
悲しい事件がありました。

 被告の息子は54才。実母は86才。


献身的な介護
母の介護のために息子は会社を辞め、献身的に介護をします。

 しかし生活は底をつき、
経済的に苦しくアパートの家賃も払えなくなります。
母には食事をさせても息子は2日に一度のおにぎり一つに我慢します。
空腹のためにおにぎりの包み紙さえ食べたとのこと。


食べられへん
息子は母に泣きながら言います。

「もう、お金がないから家賃も払えないし、食べることもできない」

 母は息子の頭をなでて

「すまんな。泣かんでもええ」



最後の

京都観光



心中を決意した日に息子は最後の親孝行にと
母を車椅子に乗せ、京都観光をします。

 最後に行き着いた桂川で息子は母に

「もう、生きられへん。ここで終わりやで」

 「そうか、もうあかんか。こっちへ来い。
おまえはわしの息子やで。ずっと一緒やで」
と母は息子を抱きしめます。

 「すまんな。すまんな」
と泣きながら母の首をしめる息子。


言葉を

つまらす

裁判官

 
そのあと、自分も首を切りますが
倒れているところを通行人に見つけられ息子は助かります。
車椅子の母には毛布がかけられていました。

 この裁判では裁判官も眼を赤くして言葉をつまらせ、
刑務官も必死に涙をこらえていたとのこと。

 そして検察側が被告人に異例の有利な冒頭陳述をしているとのこと。


もう一度

母の子に



第3回公判が6月21日、京都地裁でありました。
私は傍聴に行きました。

 「自分が母を殺害したけど、もう一度母の子として生まれてきたい」と
息子は供述しました。


 それにしても被告人は福祉事務所に何度も助けを求めているのに、
役所は何故救うことができなかったのか。

 私も同じ京都市民です。
気づかなくて非力な自分が腹立たしくて悔しくて悲しいのです。


行政の力を

むつかしいお話になりますが、
憲法25条に生存権というのがあります。

 京都市は憲法すら踏みにじったのかと悲しくなりました。

 私の気持ちをなんとか京都市長に伝えることができればと考えています。