車椅子の母 No3.[涙の判決]


車椅子の母 No2 最終弁論の続き)

車椅子の母 No1.の続き)


                                            土佐 保子


今日は京都で起こった「承諾殺害事件」の判決が
今日21日京都地裁でありました.。

早朝から裁判傍聴に行ってきました。

 今回も私が一番でしたので、記者の人から
「何時から来られていたのですか?」
とたずねられました。


今回も私が一番でした。傍聴席は75席
すぐそのあと、
あっという間に人が増えていきました。

9時には
傍聴整理券をもらえない人が沢山いました。


 
もう一度母の子として生まれてきたい」と
母への思いを泣きながら訴えた被告。

その愛する母を
何故殺害しなければ
ならなかったのか。



 被告人の孤独、苦しみ、悲しみ、絶望感を
裁判所はどのような判決をだすのだろう。

また被告人をここまで追いつめた
行政に問題はなかったのだろうか。

裁判官は被告人のみを裁くのだろうか。
等々の疑問が私のなかでありました。


 
大学生風のグループが目立ちましたので

法律の勉強をしておられるのだろうなと
思っていたら
整理券取りのアルバイトだったんだと
わかりました。

 
裁判開始は9時40分からです。

 冒頭から裁判官が
判決の言い渡しをされました。


 裁判官が被告人を前に呼ばれ
「懲役2年6月 執行猶予3年を言い渡します。」

このあと、
「あなたは釈放されます。
主文は長くなりますので後ろの席に
座って聞いて下さい」


 「執行猶予3年」と裁判官が言われたとき、
法廷から拍手がわきました。


 深々と裁判官に頭を下げる被告人。
 
 刑務官もホッとした様子が
すぐ後ろの私の席から感じとられました。


 
裁判官が主文を読み上げられます。
 
 「母親にとっても、あなたにとっても
誠に痛ましく悲しい事件だった。
同様の事件が日々報道されている。
いったい何がこのような事件を
生み続けているのかと考えます」
そしてこのあと、
 「今回の事件は福祉事務所の窓口の対応が
一因になったことは否定できない」と、
行政の批判もされています。


経済的に行き詰まり、
年を越せるかどうかの瀬戸際だった
昨年末の生活の様子の部分になると、

裁判官も声を詰まらせ、
被告も何度も
眼鏡をはずし、
涙を拭う姿が痛ましかったです。


 
最後の殺害時のとき、裁判官の声が
何度も何度も途切れがちになります。

 「被告人の苦しみや悩み、絶望感は言葉では
言い尽くせないものがある」と、
裁判官は被告の気持ちを代弁されました。

 そして
「母親は被告に感謝こそすれ恨みなど抱いておらず、
今後、被告が幸せな人生を歩むことを
望んでいると推察される」と言われました。


 主文言い渡し後、裁判官が被告人を前へ呼び

 「朝夕、お母さんの冥福を祈ってください。
ぜったいに自分で自分を
あやめるようなことの
ないように生きて下さい」
と、
やさしく諭されました。
 
 深々と頭を下げる被告人。



 
前回と違って裁判終了後、
もう被告人に手錠をかけたり、
腰縄をつけたりはありませんでした。


 私の隣に座っておられた女性は
終始泣いておられました。

被告人のゆかりのある方
かなと思いました。



法廷室を出ると傍聴できなかった
人達が多く、びっくりしました。
 
「本当に悲しい裁判やったな」
誰かがポツリと洩らされました。
誰もが、生きていくのは大変なことだけど、
それでも命あるかぎり頑張って
生きていかなければいけません。

 趣味の囲碁が続けられる幸せなことを
自覚しないといけませんね。