南イタリアの遺跡から歴史を読む

ノルマン時代

シチリアで共生と繁栄をもたらした


 かって、ノールウェイを訪れたとき、とあるスーパーマーケットに入った。
 現地の人達は男女ともいずれも2メートルになんなんとする大きな人達で、
私は見上げてものを言わなければならない。相当屈強な人種なのだろう。
おそらくジャンプの選手達もきっとそうだろうと、思った。

cf:http://homepage3.nifty.com/gokichikai/essaybaiking.htm

映画のスター達はこぞって上背も高く、眼も大きい。
体格の大きいことは頑強!強靱!強い!

 9世紀には、この強靱な人達は舟に乗って大海原に乗り出した。
ノルマン(バイキング)の誕生である。







 ここにいうノルマンとは

ノルマン人はゲルマン民族の一派(北ゲルマン)で
スカンディナヴィア半島・ユトランド半島を原住地とし、
スウェーデン・デンマーク・ノルウェーの三つの部族に分かれていた。

北フランスの海岸に住みつき、
フランス王からノルマンディ公の称号を許され、
ノルマンディ公国として、封建諸侯の一員となった。
 そして、フランス・ドイツ・イギリス・ロシアへと侵入し、
当時は敵のない新天地を荒らしまくった。

 この底知れぬ腕力はイギリスに入って、反抗する
アーサー王(日本の義経ばりの人気)の伝説を生みつつ、
イギリスを征服して、晴れて、ウィリアムTがノルマン王朝を建国した。
現イギリス王朝の祖である。
これが「ノルマンの征服」と呼ばれる出来事である。

 また、一派はロシアに入って、スラブ族を従えて、
ノヴゴロド王国を建てている。
彼らは黒海からカスピ海、ペルシャに達して
ヨーロッパに商業の復活をもたらした。

 ノルマン人の一部は、
9世紀にアイスランドを発見して、そこに移住した。
やがて、アイスランドは13世紀末にノルウェーに併合された。

ある一派は大西洋を越えて、10世紀末にグリーンランドに達し、
また1000年頃には
北米のヴィンランド
(カナダの東部)にも達したと言われている。

 また、11世紀に、屈強なノルマンの一団は
南方に矛先を向けた。それが南イタリアであった。


当時、イタリアではビ新興のザンツと、既存のランゴバルドの
拮抗する中、傭兵として頭角を現した。

遂に1059年、ローマ教皇によって、諸侯に任ぜられ、
 特に、アルタヴィッラ家の兄弟のカリスマ性は南イタリアに君臨し、

やがて、
1072年、シチリア王国を建立し、パレルモに遷都して、
シチリア繁栄のよき時代を迎えることになる。





シチリアでの活動を見るに

圧巻はルジェーロUの時代である。

彼はギリシャ語、ラテン語、アラビア語を駆使し、南イタリア、北アフリカを手中にした。
現存するノルマン王宮はルジェーロUの手になるもので、当時の繁栄を誇示している。

 当時パレルモには世界の科学者や文学者が招聘された。
 モロッコの地理学者イドリーシーが献上した本は「ルッジェーロの書」として知られており、
それには驚くべきことに、コロンブスよりも300年も前に
「地球は丸く、均一に海水で被われている」と、記されていた。





グリエルモU(Girilielmo U) は
偉大となりすぎたパレルモ大司教と勢力争いの中、
1183年、ノルマン文化の華を咲かせたモンレアーレ・カテドラルを
パルモアの丘の上に建立した。
1800sの金を使ったモザイクで名を馳せている。

 グリエルモUが1189年死亡した後、
首都はナポリに移され、シチリア・ノルマンは終焉した






 さて、ノルマンは十字軍に率先して参加した


十字軍の第1回は1096年〜1099年の3年間。
フランスと南イタリアのノルマン人の諸侯・騎士から編成された。

小アジア・シリア地方のセルジューク朝領の諸都市を攻略した後、
ファーティマ朝支配下のエルサレムを占領。
このとき老若男女7万人のムスリムを虐殺したと記録される。

 以降、200年間、8回の十字軍が派遣されたことになっている。

さて、ルジェーロUの孫に当たるフェデレーコUは清貧を旨とし、
南イタリアにとどまらず、神聖ローマ帝国の皇帝に加冠された。また、
シトー派修道院と、素晴らしい関係で、世界の驚異といわれていた。

彼は教皇にせかされて、1228年、
十字軍を率いて、イェルサレムに赴いた。

フェデレーコUは戦争をせずに、和を結び、開城させて、
イェルサレムの王になった。
教皇は異教徒に戦いを挑まなっかったとして、激怒し、
彼を破門した。
彼は病を得て他界したが、
その子、孫らは異端の汚名の下、
教皇の攻め手に滅ぼされた。

ここに、
南イタリアのノルマンの終焉を見ることになる。




大義を失った後のノルマンはどこへ行ったか?

その前に、
シチリアと言えばマフィア。
もう数年前に、マフィアのトップが掴まったとか、報道された。
街の雀は・・・「彼は3番手」・・・と、言う。
なお、小さな囁きが聞こえる。

「現代、マフィアはアグリジェントの山腹より山頂の辺りに
一つの集落を作っているが、一般民衆との区別は見分けが付かない。
「あなたの隣人がマフィアだぞ・・・」と、裏組織は全く見えないようだ。
行動理念は弱きを助け、強きを挫く月光仮面、次郎長で、
ゆわゆる「素人様には手を出さない」ある種の義賊。
シチリアには益あって害無し・・という存在」とも。


 ここに、あくまで大胆な憶測でしかないが、

世に言うマフィアは、ノルマンがシチリアに留まり、
永の年月を臥薪嘗胆、表は行政の番頭格を務めながら、
陸に上がったバイキングの裏組織をいつしか・・
マフィアに変身していったノルマンの姿
が見え隠れしているのでは・・・