南イタリアの遺跡から歴史を読む ノルマン時代 シチリアで共生と繁栄をもたらした かって、ノールウェイを訪れたとき、とあるスーパーマーケットに入った。 現地の人達は男女ともいずれも2メートルになんなんとする大きな人達で、 私は見上げてものを言わなければならない。相当屈強な人種なのだろう。 おそらくジャンプの選手達もきっとそうだろうと、思った。 cf:http://homepage3.nifty.com/gokichikai/essaybaiking.htm 映画のスター達はこぞって上背も高く、眼も大きい。 体格の大きいことは頑強!強靱!強い! 9世紀には、この強靱な人達は舟に乗って大海原に乗り出した。 ノルマン(バイキング)の誕生である。
シチリアでの活動を見るに 圧巻はルジェーロUの時代である。 彼はギリシャ語、ラテン語、アラビア語を駆使し、南イタリア、北アフリカを手中にした。 現存するノルマン王宮はルジェーロUの手になるもので、当時の繁栄を誇示している。 当時パレルモには世界の科学者や文学者が招聘された。 モロッコの地理学者イドリーシーが献上した本は「ルッジェーロの書」として知られており、 それには驚くべきことに、コロンブスよりも300年も前に 「地球は丸く、均一に海水で被われている」と、記されていた。 グリエルモU(Girilielmo U) は 偉大となりすぎたパレルモ大司教と勢力争いの中、 1183年、ノルマン文化の華を咲かせたモンレアーレ・カテドラルを パルモアの丘の上に建立した。 1800sの金を使ったモザイクで名を馳せている。 グリエルモUが1189年死亡した後、 首都はナポリに移され、シチリア・ノルマンは終焉した。
大義を失った後のノルマンはどこへ行ったか? その前に、 シチリアと言えばマフィア。 もう数年前に、マフィアのトップが掴まったとか、報道された。 街の雀は・・・「彼は3番手」・・・と、言う。 なお、小さな囁きが聞こえる。 「現代、マフィアはアグリジェントの山腹より山頂の辺りに 一つの集落を作っているが、一般民衆との区別は見分けが付かない。 「あなたの隣人がマフィアだぞ・・・」と、裏組織は全く見えないようだ。 行動理念は弱きを助け、強きを挫く月光仮面、次郎長で、 ゆわゆる「素人様には手を出さない」ある種の義賊。 シチリアには益あって害無し・・という存在」とも。 ここに、あくまで大胆な憶測でしかないが、 世に言うマフィアは、ノルマンがシチリアに留まり、 永の年月を臥薪嘗胆、表は行政の番頭格を務めながら、 陸に上がったバイキングの裏組織をいつしか・・ マフィアに変身していったノルマンの姿 が見え隠れしているのでは・・・ |