山崎の碁界と連碁集 1970年代の囲碁交流 親睦の度が覗われる。 高野圭介 |
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1969年(昭和44年)神戸新聞囲碁名人戦姫路大会で、 青天の霹靂のように、私:高野が優勝の栄冠を克ち得て以来、 高野の周辺はおろか、山崎の、宍粟の、碁の在り方は一変してしまった。 従前戦前から「有段者会」があって、最年少で私もお世話になったものだ。 昭和40年頃から、官公庁の人たちが纏まって楠風会が発足した。 山崎保健所所長・尾立源二氏。山崎林業試験場場長・前田豪一氏らの 肝煎りで、新宮の多田昭円僧侶も加わってきた。 折しも、冒頭の西播名人の登場である。 守拙会が生まれ、若愚会が育ち、風鈴会、子供碁会と大忙しの碁界となった。 詳細は「宍粟の碁」に散見出来る。 新宮、竜野、相生、姫路、他西播一円から続々碁友が来られ、 寄ると触ると一席の碁と一献が付きものとなった。 私自身、関西棋院兵庫県姫路地方本部へ足繁く通ったものだ。 よき時代の素晴らしい交流であった。 連碁三譜。懐かしい顔ぶれである。 |
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守拙会 | 尾崎正一 |
碁は面白いこと言うてもよろしいか? |
森本一二 |
味のあるお付き合いに終始した。 |
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栃尾衛門 |
豪放闊達、「宍粟の碁」実行委員長。 |
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竹添 勉 |
横笛の名人。豪快無比、人も碁も。 |
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鶴崎和美 |
鶴さんあっての山崎碁会。謡曲師範 |
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吉岡章雄 |
宍粟から兵庫県のチャンピオンに。 |
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連 碁 | 棋友連碁 1969年7月5日 |
尾立源二・高野圭介 vs 佐々木薫・多田昭円 |
1975年9月3日 |
守拙会 vs 若愚会 連碁 安井町長祝賀会席上 |
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1976年1月15日 |
守拙会 vs 玄游会 新年連碁 於料亭・菊水 |