人間の傲岸不遜

倣岸不遜とは、「無礼で高慢な態度、謙虚のかけらもないさま。」など。


あれから半月、東北地方は堤防決壊の水浸し。以前の原子力発電の問題と併せ
火責め水責めの辛苦を一身に集めている。
政府は「国民の生命財産を守る」と言っているが、果たして・・・

「自然の前には人間の出来ることには限界があるなぁ」と
早朝ラジオ体操の時、森田武夫さんが言った
。 
                            2015年9月10日

                               高野圭介

諫早干拓「開門」
諫早干拓「開門」について、
同じ裁判所の判決が
「Yes」と「No」に入れ替わっている。



人工の干拓がもたらす問題は当事者にとって深刻と思うが、
人間の自然に対する思いの丈の挑戦についての本質を問う問題を
投げかけているのかなと思った。

ともあれ、人間が自然を征服する! 何と傲岸不遜!

防波堤問題 
同様のことが、
北陸を起点として全国に広がっている防波堤問題である。
英語では
a breakwater; a seawall と呼ぶのだそうだが、
私はバベルの塔を連想した。



より高く、より強く、より長く、強大な防波堤が完成した。
その
a seawall がある日、大波に倒壊された夢を見た。
そう言えば、バベルの塔はいつ崩壊したのだろう。誰も知らない。

 いっぽう、台風を逸らせるため、ミサイルを撃ち込んで、
熱帯低気圧に変えてしまうような話を聞いたことがある。
但し、その実効性は如何なものか。 

天を畏れぬ  
天を畏れぬ英雄の活躍としては、俊足のアキレスがある。
アキレスは、再三単身敵陣に切り込んで不死身で戦果を挙げたが、
不死身の筈が、アキレスを射られて死の運命を迎えたという。



私は武蔵の二天一流を二刀流のことと認識していた。しかし、
二天と言うからには「天の下に二人立たず」と独り極地に立つ
の隠れ意味があるのでは無いか?と勘ぐったことがある。

しかし、これらは決して驕りでは無く、命のやり取りの世界で
生き抜くには天も畏れぬ気概が要ったのと思う。

 プールの水温
卑近な話だが、
プールの水温は30℃~32℃。ジャグジーは38℃前後。
風呂は42℃前後のようだ。問題はプールで、30℃なら冷たいし、
32℃なら温かすぎる。31℃前後の微妙な温度がちょうど良い。

厳密には、37~8℃がベストだ。

僅か1℃の何分の一と言うなかれ。夏冬などの外気の温度で、
室内の水温の管理がたいへんのようだ。



これらは人間の自然に対する可能な限りの挑戦なのだが、
インドアのコンピューター制御でさえ、一定の温度を保つことの難しさ。

これら三つの事例は絶対必要なのだろうが、
自然に対する思い上がり:傲岸不遜と見る向きの無きにしも非ず。


 安保法案



安保法案(自衛隊・防衛問題に関する問題)が
再軍備に関わるかどうかで議論のな真っ最中だ。

強い日本を主張するメンバーも強弁を張っているが、対抗するのは
戦争にエスカレートする可能性の芽を摘みたいという反対派。
共に双方相手を、驕りたかぶっていると思っているように見ているのか。
しかし、自己主張とはそういったもので、
私たちはこういった言論を自由に表現出来る民主主義を謳歌している。



曲折の後、いずれもし、票決されて決まるとしたら、
決まれば、野党からは社会正義違反の「数の横暴」で不遜と詰るし、
与党からは当然の権利 「民主主義の数の原理」と嘯くだろう。

中国の孔子廟
中国の曲阜に孔子廟がある。儒教(孔子の教え)の大本山であるが、
中国でいかなる政変があっても、いかなる焚書坑儒と抑圧されても、
孔子廟とそれを護る孔子の後裔一族は現在で83代、連綿と続いている。

如何なる帝王も手出しは出来なかったのみならず、援助を怠らなかった。
とはいえ、
中国に儒教は根付いている筈の孔子道徳はどこかに行ってしまった。
今はさくばくとして儒教の臭いさえない。

     

碁は君子の争いと喝破した孔子の儒教は日本に根付いていった。
江戸時代、学者と言えば儒者だった。昨今は日本でも薄れてきている。

それに引き替え、今の世、最も儒教的なのは韓国と言われている。
韓国ではハッキリしていて、現に年長者には絶対尊敬の姿勢である。
これはいったん韓国に足を踏み入れたら分かることだ。

 へりくだった気持ち
歴史の父・ヘロドトスの言葉・・「自尊心は愚者の持ち物なり」と。
ましてや、「不遜の心は貧者の貧者たる所以なり」と思う。

16世紀、マルセーユに始まった自由平等友愛思想は三色旗となり、
遠く、日本に定着している。「何でも言える自由」はまことに良いことだ。



反面、都合の良いときだけ一方的に「虞を知らぬ自由気まま」が横行し、
へりくだった気持ちはどこへ行ったか? 礼儀ある日本人気質は今どこに。
うるわしい人間性喪失はまことに嘆かわしいことだ。

その点、テニスの錦織圭選手は古来日本人独特の礼儀をわきまえる
姿勢が高く評価されていることはこの上なく嬉しい。