自由を標榜として、碁吉会

・・・自由と責任を考える・・・

                      高野圭介


「握り」という儀式


「丁勝手」

 
碁には「握り」という儀式がある。

碁石を握って、相手が石数を偶数か奇数か当てる。
当てた方が黒石を取れる。つまり、先に着手できる。

その時、相手は、丁先とか、半先とか言って、
偶数か奇数を言わねばならない。



 
面白い人に出会った。
彼は握ったとき、
「丁勝手」と言うのである。

これは「丁(偶数)に当たったら、そこで自分が改めて先後を決める」というので、
「選択の自由を貰う」と言った訳だ。

彼は一度当たった幸運を更に、自由を行使しているのだ。


碁吉会の

 囲碁三昧


碁は一人では打てない。誰かと打つか、どのような碁を打つのか、
それこそ、各人の自由である。

碁に対する思いが同じような人たちの集まりの中で打つのが
最も心の躍る囲碁三昧に浸れるのは言うまでもない。



 自由とは何か?
ここに 自由とは何か?

自由(freedom, liberty)は、他のものから拘束・支配を受けないで、
自己自身の本性に従うことをいう。

ここでは、
「自由奔放」、「無邪気」と捉えられる自由(free, freewheeling)とはちと違う。
各人が思うように行動できる力という意味でも用いられてきている」

人間の基本的人権として、最も大事なものだ。 



フランス革命



平等は自由を
侵害する 


フランスの自由・平等・友愛について、
「自由と平等は相対立していて、
同時に存在することは難しい」と言われている。


フランス革命でも結局は、市民を支持層にしたジロンド派と
男子普通選挙制を求めた(大衆側の)ジャコバン派が対立しした。

無理かどうかは分かりませんが、両立しにくいのは確かなようです。


ただ、ジャック・アタリという思想家は、
「自由と平等は矛盾するが博愛がそれを解決する」と注釈を入れている。

つまり、平等は自由を侵害するが、他人と分かち合うという
博愛の喜びによって思想として生きる、ということだ。

自由権
自由権

自由権(the right of freedom)は、基本的人権の一つで、
国家から制約を受けるまたは強制されずに、
自由にものを考え、自由に行動できる権利のことをいう。

古くはイギリス権利章典・アメリカ独立宣言・フランス人権宣言から謳われ
今日までの歴史を持つ。内容は人間の自由のすべてに及ぶゆえ、
その一覧を作ることはまず不可能である。

自由権は、人権の中でも特に重要な人権といわれる。

愚行権
愚行権(the right to do what is wrong)とは、
たとえ他の人から愚かでつむじ曲りの過ちだと評価・判断される行為であっても、
個人の領域に関する限り邪魔されない自由のこと。

 自由を謳歌
愚行権でも自由は自由です。

ただ、各人それぞれの自由が阻害し合うようなときは、
公序良俗に合致するとか、自由を守る責任とかが前提となって、
人は暗黙に合意した者だけが集まるもの、それが、グループであり、クラブである。

そして、
人生哲学、思想に合致した環境の中で、自由を謳歌すればいいと考える。 

 自由を守る責任


ところで、碁吉会は自由が基本姿勢の中核を為している

碁吉憲章第三章に
「我々はそれぞれの囲碁観を持っており、それは侵されない」と
謳っている所以のものである。

一人一人が誰にも侵されない自由を謳歌する碁吉会は、
実は誰もが自由を守る責任の上に立つグレードの高さにあるのです。