余暇を考える


                                       2016年3月17日

                                    高野圭介

 電子マネー
 その昔1980年頃、手形の発行について、
いずれはこのような紙に判子を押すようなことは無くなって、
電子マネーのような
paperles money時代が
来るだろうと言われていた。

無人自動車
 いつの間にか無人モノレールが走り出した。やがて、
無人飛行機が飛んでも不思議がらずに受け容れた。



今度は無人自動車である。
このややこしい道を機械が運転する?そう聞いただけで
「そりゃ無理だ!」と思っていたら、今.ニューヨークのタクシー業界は
運転手の賃金が半減、運転手の失業問題が謝意問題だ報じられた。



 飛行機の設計をコンピューターが、始めから終わりまで
全部やってしまう。では設計技師は失業状態?

 デジタル革新
デジタル革新で、第4次産業革命の真っ只中にある我々は
空気のように受け止め、毎日うきうきと流されている。

 もう10年も経てば、ありとあらゆる業界に、ヒトの仕事がITに取って代わり、
ヒトは「便利だ、都合がいい」と言っている間に、仕事がなくなってしまう。



時代が変わった
 そんな警告は耳に届かなくても実体は進む。否、
その警告の一つが「イ・セドルvsアルファ碁五番勝負」ではなかったか。

時代が変わってきたのである。
ひたひたから急変の節目というか、
インダストリー4.0の成せる技とでも言うのでしょう。

 かって、藤沢秀行が中国棋壇の躍進を予見して、
「中国の馬蹄の音が聞こえぬか」と喝破した。


未来は予見出来る。

失業と余暇
         

その結果、二つのことが同時進行する。失業と余暇の生活だ。

 失業は、形を変えて何らかの収入の道が開かれようが、
余暇だけは突然降って湧いた、時間という貴重なものに対し、
対応出来る人と当惑してしまう人に分かれると言われている。

自由な余暇を
       

わが、須磨ヘラクレスクラブは
「言いたいことを言うというヘラズグチ」をたたきながら
「したいことをするという余暇」その最先端を歩んでいる。