「流れ」を想う

                       高野圭介


智に働けば角が立つ。
情に棹せば流される。
意地を通せば窮屈だ。
                    漱石





アメリカ発の
金融恐慌


昨今、世の中の流れがおかしい。

アメリカ発の金融危機は
世界経済界の根底を揺るがす流れとなった。
今はまさに世界の通貨はUSドル。
アラブの世界も影響大である。
世界中、先行きはまったく予測も付かない。

もし、これがアメリカでなかったら、
ハリケーンの通り道だけに留まったかも知れない。

中華思想
中華思想は漢民族に芽生え、根付いている。
中央集権は当然の流れなのか。

時移り、処は替わっても同様で、
最近の日本でも
「これからは地方の時代だ」と息巻いたこともあった。
しかし、上意下達の流れはいっこうに変わっていない。


中央は変化の
極限世界


碁の着手の判断にも歴史と共に物差しの変化が見られる。

かって、橋本昌二九段が碁盤の天元辺りを掌で掩い
「高野さん、この辺りが私たちプロの飯の種ですよ。」
と言われたことがある。


中央
は変化の極限が碁盤の中に棲み着いている場所なのか。
確かに
いよいよ一着の価値は隅から天元へ流れて来た。
眼の付け所が変わってきている。

天元や碁盤の中から手のお化け  圭介


囲碁の歴史を
俯瞰する


我々に親近感のある中国の時代の流れは

→五代(十国) →. (北宋→ 南宋)→
→(中華)民国→.

この間の、囲碁の歴史を俯瞰するに、
中国で、元以前と明以降では碁ががらりと変わってきた。


中国では北宋代に『忘憂清楽集』という書が編纂された。
この『忘憂清楽集』は現存する中で
最古の棋書(囲碁に関する書物)である。
碁も盛んだった。

北荻騎馬集団・元の代となって、
怖れをなしてか、琴棋書画も地下に潜ってしまった。


日本の徳川家康時代と同様の
17世紀・明の高祖が元を駆逐した。
やっと元から解放されてあらゆる文化が陽の目を見た時、

南宋画も消え失せ、琴の糸の本数も変わり、
碁の盤上も変わってしまった。


元以前では盤の四隅に、置き石を置き合って
開始されていた碁が置き石を撤廃され、
盤上の制限が無くなっていた。



小目を中心の
定石



天元を中心に
全局の調和



ますます隅の変化に研究の重点が置かれ、
小目を中心に定石が定着していった。

定石は一連の変化に於いて

1.全局との調和
2.アジ良く治まる。
3.先手の注して争い。
4.封鎖を巡っての位取り。
他に、筋形などなど、深い英知の集積。


日本では比較的早く、
置き石は欠落して碁を打っていたようで、
定石と共に、布石の研究も進んでいたようである。

中には天文学から、天元が最高のポイント!と試みられ、
天元打ちの棋譜も残っている。

それでも、隅の変化に、一目、半目の利を求めて、
手割り論も導入され、隅の変化一辺倒で研究が進んでいた。

それが1934年の
呉清源・木谷実の新布石論以降、盤の鬼門意識も破棄され
「一着の価値」がクローズアップされてきた。

白黒、最善の応接は一子でコミにして、
何十分の一目にもならないくらい微細な価値の差ではないか?



なお進む
中央指向


現在では
中央指向、地に辛い碁、天元、三連星、両三三と、自由に打っている。
とは言え、
中央近辺は隅の一着よりもどうも価値があると、
認知されてきているように私は感じている。


価値観は中央が大きい!と目されてきて、中央指向が進み、
コミも大ゴミに変えざるをえない原因の一つになったのではないか。

高野の大塗り
期せずして、
私は2008年年末の隆研で、家田八段プロに対し、
中の碁と、隅の碁のまったく違う性質の碁を2局打った。


断然「高野の大塗り」に凱歌。



中の碁は、圧倒する気迫で覆う 「高野の大塗り」


隅の碁は、地に辛いとも言えぬ「二の字二の字」


どちらも反省材料が山ほどあるが、
上記・「中央指向」「地に辛い碁」のご参考までに。