カラオケと音楽
高野圭介 |
||||
歌のキングは第九 | 私は自他共に許すオンチである。音痴とは音に対する痴れ者。 その音痴の耳が遠くなった。まるで悲劇を絵に描いたよう。 音痴なるが故に、一つだけ歌える歌をと願望で年単位で覚えたのが「第九」。 1984年だったから、もう30年にもなろうか、その間、An die Freude は 姫路労音を皮切りに、毎年舞台に立って歌った。 終いには大阪城公園一万人の第九の常連となっていた。 自分が音痴なればこそ、一つ覚えで、どっぷり溶け込んでいる歌だ。 だから、子どもたちが口を揃えて「皆が歌い始めてから歌い、 皆が歌い終わる前に、口を閉じる!それが良い、それが良い、○まる」 と冷やかされていたものだ。 EUが「欧州の歌」として第九を採択している。非公式の国連の歌。 確かに、「歌う歌の王様は第九」と思っている。 |
|||
歌のクイーンは 「オーソレミオ」 |
歌のクイーンは「オーソレミオ='O sole mio 」にとどめを刺す。 歌詞(原語の読み方) 10数万トンクラスの豪華客船のクルージングの最後の晩餐には、 カリブ海の時も、エーゲ海でも声量豊かなテノールのソロが 「オーソレミオ」を謳い挙げる。 私も稽古して歌うチャンスを待った。 ヨーロッパからアフリカ、中東地域にあちこちに散在する円形野外劇場で、 ありったけの蛮声で「オーソレミオ」を張り上げたが、 皆さまには迷惑至極であったろう。 |
|||
天才中の天才 モーツアルト |
ここ2年間はモーツアルトに聴き入っている。 アインシュタインが言った。 「私が死ぬと言うことは、もうモーツアルトが聴けなくなるということだ」と。 そうでなくとも、楽しい曲はモーツアルトと相場が決まっている。 特に、幾つもあるセレナーデの中に、セレナーデ第13番とも呼ばれる 「アイネクライネ・ナハトムジーク・Eine kleine Nachtmusik」は又別格。 |
|||
ワルツの女王 ヨハン・シュトラウス |
華麗に舞うワルツはヨハン:シュトラウス 生涯で500曲を超える曲を残し、ウィンナ・ワルツの黄金時代を確立した 「ワルツ王」 ヨハン・シュトラウス2世。 代表作は「美しき青きドナウ」 scho~nen blauen Donau |
|||
カラオケ名曲集 | それが、カラオケに参加する羽目となった。もう30年もお世話になっていない。 哀しいかな、演歌の世界は良い歌とは分かっても、馬耳東風。聞き流すだけ。 100回聞いても覚えられないという悲劇の結末。 クラシックのカラオケ(そんなジャンルもあったのに驚き)も難しい。 歌にもならないこの音痴は世界名曲集に出てくる翻訳された 諸々の歌詞がちょっと違うと、もうそこで脱線してしまう。 |
|||
カラオケのジャンル | 第九(An die Freude ・歓喜の歌)も演題の中にあった。しかし、 合唱団の合唱の部分は無くて、テノールのソロのところばかりだから、 一般の合唱団ぐらいの知識では歌えない歌詞の部分だった。 また、オオソレミオも張りも艶もあるテノールの原語・イタリア語の歌と 日本語訳で歌うカラオケの kono mood では本来のイメージさえ出てこない。 さもありなむ。Oh my god ! |
|||
銀恋は酒の肴? | 皆さまは上手い。何もかもがしっかりしている。根底から違う。 その中で、私のと言ったら比べようも無い。 「酒・女・唄」という題名の唄がある。 好きな人と,酒を交わしながら唄を歌う。それがパラダイスという唄のだろう。 演歌とか叙情歌の中で、その昔、酒の肴に歌っていた「銀恋」を思い出した。 いったん覚えたら、後は自分の性に合った音程とメロディに換えて歌う。 「真実の恋の物語」は「ほんとか嘘かの物語」と歌詞も変える。 これじゃ、唄も浮かばれないだろう。あははっっh |