囲碁いろは歌 −−中山典之先生の快挙−− 高野圭介
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囲碁いろはカルタ |
私の手元に「四十八文字歌 囲碁いろはカルタ」が届いた。 いわずと知れた棋士・中山典之先生からである。 肩書きには、新いろは歌・家元としてあり、かってのあの日のことが甦ってきた。 |
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神戸大震災 |
1995年、神戸大震災の時のこと、 『前代未聞 棋響千秋 囲碁いろは歌』中山典之著を 私が何十冊も先生から買って、 その代金十数万円を送ろうとしていた矢先のことであった。 先生から見舞いの電話を戴き、次の手紙も戴いた。 |
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中山典之先生 善根・義侠心 |
「未曾有の大震災、深くお見舞い申し上げます。 昨日、数百回の電話ののち、漸く奥様に電話が通じ、ご無事とのことを承り、 安心して腰が抜けたような感じです。 当方、何らかのお役に立つのなら、直ちに出発すべき所ですが、 若くもない小生が行ってはかえって手足惑いかも知れぬと思い直し、 心ならずもテレビニュースにかじりついている有様です。 なお、高野さんが配布して下さった小生の書物の代金は、この際、 すべて高野さんに寄付いたしますので、囲碁関係の誰かで、家を失った人か、 万一亡くなられた人でもいられたら、そちら関係にお役立て下さい。 少額ながら文人棋士、貧者の一灯として・・・」 鴨川市・中山典之 |
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囲碁格言 カルタ |
もちろん避難所回りして、碁盤のご用足しにしたことは言うまでもない。 それからというもの、 以前にも増して、大のフアンになったのは言うまでもない。 私の囲碁格言カルタ創作に関しても、徹底してご助言を戴いた。 |
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チロルでの 「歌の素」 |
今年、2005年夏、先生に同行して、チロルへ行った。 そのとき、先生の手許には「歌の素」という小函を肌に離さず持参され、いろは歌に 取り組んでおられる姿を知った。 |
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いろは歌 |
色は匂えど 散りぬるを わが世たれぞ 常ならむ 有為の奥山 けふ越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず |
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碁のいろは歌 |
確かに、先生の「いろは歌」は前代未聞の快挙である。 『前代未聞 棋響千秋 囲碁いろは歌』(1994年刊行)序章に 「いろは歌の周辺」が15ページに亘って記されているが、 先生が囲碁の世界に題材を限り、世界一の日本語で絶唱したと誇っておられる。 |
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第一作 み 美空歌 |
作品第一作は「美空歌」と名付けられたこの歌。 美空を翔けて 山の端へ 沈む月冴え 囲碁に酔ふ いろ褪せぬ夢 本音なり 吾 打ち得よ 懐ひ足る |
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1994年 い いろは歌 |
さて、この十年間に進歩したというか、変化した歌、三歌。 1994年歌「囲碁いろは歌」 いろはの仮名に 智慧練りぬ 囲碁を見つめる 句とすべし 先祖もあきれ 大笑ひ 歌詠まむ筆 冴えや行け |
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2005年 い いろは歌 |
2005年歌「囲碁いろは歌」 いろは歌詠 名乗あげ 囲碁に智慧追ひ 夢を得ぬ 照る月 笑へ 星 眠れ 吹く風止まず そもさんと |
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1994年 は 春の囲碁歌 |
1994年歌「春の囲碁歌」 春の囲碁 夜桜笑めり 夏ぞ打て 寝ぬ星と吾 秋もみじ 老いを変へたや 冬冷えに 負けず論ぜむ |
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2005年 よ 夜桜歌 |
2005年歌「夜桜歌」 夜桜笑めり 春の囲碁 寝ぬ星と吾 夏ぞ打て 老いを変へたや 秋もみじ 負けず論ぜむ 冬冷えに |
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1994年 め 冥土歌 |
1994年歌「冥土歌」 冥土に囲碁の あるなしを 尋ねておくが 良き知恵ぞ 日も薄れ はや 冬去りぬ 見え論ぜむ 呆け笑へ |
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冥土歌色紙 め |
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2005年 め 冥土歌 |
2005年歌「冥土歌」 冥土の囲碁は おもしろや 下手さ見ゆれど 素敵なむ 知恵ねる閻魔 笑ひけり 余に嘘をつく 阿呆ぬかせ |
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撰と脇付 い |
また、「四十八句仙 囲碁川柳いろはカルタ」 撰と脇付も発表された。 その中の、三句(脇付共)。 石の上にも 三年で知る 石の下 人は百年 囲碁は永遠 |
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よ |
寄せ鍋が 煮詰まりますと 妻の愚痴 それどころじゃない 煮詰まったヨセ |
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め |
冥土にも 碁会所 あるやと 墓に問ひ 蟻が出てきて アリと答へる |