常振明董事長と余昌民先生 余昌民先生からの寄稿から 高野圭介 編集 |
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文化大革命が起こった頃、私は大学2年生。常振明さんは小学5年でした。 振明さんのお父様は精華大学の名教授でした。 文化革命は知識階級を極端に忌み嫌い、肉体労働に従事させました。 当時のほとんどの役員、管理者、教授たちは同じ運命を辿っていました。 常教授一家も同様で、苦しみに喘いでいました。 これは精華大学の歴史資料の写真で「ボイラーの労働者と炊事者」です。 その際、私は振明さんに文学、音楽、囲碁から生き甲斐の話など指導してあげました。 中でも、囲碁は井目からどんどん腕を上げて、瞬く間に2子に成長してきました。 私が大学を卒業するまでに振明を陳祖徳先生に頼みました。 15歳の振明さんが中学校を卒業したところ、 清華大学附属学校の先生である振明さんのお母さんは軍代表に 「お前のうちは本を読みすぎたから、工農兵に読まさせるべきだ。」と言われました。 すなわち、 振明さんは階級出身という理由で当局から高校へ進学の門をポンーと閉じられました。 振明さんはすべてを乗り越えて、今では中信集団の常振明董事長として大成しています。 思うに、囲碁こそ常振明さんを助けてあげたとも言えます。 私と振明さんの間に、兄弟のような親密な関係はいつまでも存在しています。 余 昌民 識 |
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左端が指導する私:余昌民。 碁を習う振明と一緒に学ぶ仲間達 |
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ー閑話休題ー 余昌民先生は述懐された。 「高野先生との対局には、先生の好局で、高野先生の勝ちが遁げたこともあります。」と。 そうなんです。私は未だ勝ったことはありませんが、存分に打った碁はあります。 景徳鎮で打ったその碁です。
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常振明少年と余昌民学生 |
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「清華校友囲碁協会」創立大会の時、常振明さんは言いました。
「余先生は立ってスピーチをなさいまして、私もその通りにします。」と。
常さんはいつものように碁が大好きですが、仕事で時間が取れないこともあるのでしょう。 雰囲気しか分かりませんが、あまり後輩を指導しないのではと思っています。 |