-死刑囚の子、殺された母と殺した父へ-



車椅子の母   土佐保子


                                        土佐保子



先日「NNNドキュメント'13」
-死刑囚の子、殺された母と殺した父へ-が放送されました。




あらすじ

2000年3月、大山寛人さん(25)は当時小学6年生。父から夜釣りに誘われた。

何かが海に落ちる音がし、その後母は遺体となって見つかった。
この2年前、父は自身の養父を殺害。ともに保険金を詐取していた。

殺人犯の息子であり、遺族でもある大山さんは社会から孤立し、
自らの境遇を呪い、父を憎んだ。 おととし、父の死刑が確定。

大山さんの心身は極限状態だ。息子の思いはただひとつ…
「生きて罪を償ってほしい」





-死刑囚の子、殺された母と殺した父へ- 

HP
紙上ドキュメンタリ


                                     土佐保子

 死刑囚の父
 冒頭、死刑囚の父に息子が手紙を書いているシーンが映し出されます。
残されている時間は限られているし、
僕にとってはたった一人の父ですからと息子は言う。

 息子の両腕には数え切れないほど
リストカットされた傷跡が何本も残っている。

 母を殺害した


 13年前、母を殺害したのは父だった。

その日、当時12歳の息子は父に誘われて夜釣りに行く。
車の助手席には母が眠っていた。

しかし、母はその時すでに父の手によって自宅の浴槽で殺害されていた。

 息子の目の届かない所で母を海に捨て、
「今、なにか大きな音がしなかったか」と息子に聞く父。

息子は言う。

僕を利用して人間じゃないと思った。
怒り、悲しみ、言葉で言い表せない憎悪、憎しみ、
この手で殺してやりたいと思う衝動。

生活が一変

 
父が逮捕され、生活が一変した。

 万引きをし、公園のベンチで寝る日々。
ベンチで「こんな僕でごめんね。今、そちらに行くからね」と
600錠の睡眠薬を一気に飲み込む。
今までに経験したことのない強烈な吐き気で目覚める。

 今、25歳の息子は自宅ポストを覗くのが日課になっている。
家族も友人もいない土地で一人暮らす。

 拘置所通い

 
 毎週送られてくる父からの手紙には息子の安否が綴られている。
息子は父からの手紙に刑が執行されていないと安堵する。

 8年前から息子は父のいる拘置所へ通い続ける。
怒り、悲しみ、恨み、苦しみ、憎しみを父にぶつけようと思っていた。

 父の姿を見たとき、頬はこけ、目の下にはクマが出来、
ガリガリに痩せていた。

 父は何度も息子に謝る。
浴槽で母が殺害される最後の言葉は息子の名前だった。

父と母


 憎いし、一生許せない。だけど死んで欲しくない。
父の死刑を望まないことで、母に対して新たな思いを抱くようになった。
父の死刑を望まない僕に母は悲しんでいるかもしれないと。

 父を助けたい思いと母への罪悪感が常に平行線上にある。
母が浴槽で殺害された時、2階にある部屋で眠っていた。
「助けてあげられなくてごめんね」と慟哭する息子。

 相克の日々


 父の面会後に必ず行く場所がある。

母のお墓、母が投げ込まれた海。
息子はお線香を供え手を合わせ母に話しかける。
  
 今も海に背を向けてプカプカ漂う母と、
外灯に首をくくってぶら下がっている父の夢を
毎日のように見ると言う。

 そして、最後に現実を受け止めて、背負っていくしかない。
父とは切っても切れない存在だし刑が執行されると
つらいだろうけど前に進んで行こうと思っていると言う。

衝撃の現実
 この番組は残された家族の現実が描かれている。
けれでもあまりにも衝撃が大きすぎて
感想はと問われても言葉が出てこない。


 父は母殺害前に養父をも殺害している。
今、殺人事件のうち半数が親族間殺人を占めている。

 注:高野先生のエッセイ
「たった人一人殺したぐらいで死刑」を読ませていただき、
死刑のあり方や裁判員制度について考えさせられました。