高野エッセイ500題 碁友と交わり、碁に親しむ折々の記 高野圭介 |
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10年いま昔 | 碁百羅漢が揃うたら廻そうじゃないか 気がついたら「高野エッセイ」が500題となっている。 2005年に碁吉会のホームページを立ち上げてすぐ書き始めたものだが、 ちょうど10年。一年50題、月4題、週1題の計算になる。 立ち上げっぱなしで内容に変化がなければ、スックと立つホームページの 沽券に関わると思い、こつこつと書き続けたものだ。 (兵庫県加西市に五百羅漢石仏がある。 碁の好き者が石の供養に行くと、碁百羅漢になるとか。) |
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ホームページ | ホームページビルダーで作成しているホームページだから 技術的なことで当初は初産の苦しみを越えて来た。ついでに、 ホームページそのものの立ち上げ当初は杉田明子さんの 協力を得て軌道に乗ってきたことも付記しておきたい。 したがって最初から 勇を鼓して慣れないホームページビルダーに取り組むこととした。 ホームページはブログとは異なり、ページの構成にも自在が多く、 取り扱いには難渋した。あれもこれも今以上に問題があったようだ。 |
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高野エッセイ | エッセイ全篇の根底は高野イズムがベースになっている。 良くも悪くもそれが質である。 高野のエッセイは少なくとも発想自体は決して人真似でなく、 かく申す高野自身から出た身の錆みたいなものの発露でもある。 エッセイ500題には多岐に亘る観点から鬱勃として派生するテーマに 取り組んできたもので、最初は囲碁專科エッセイの積もりであったものが、 高野生きざま百科の色彩ともなっている。
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問題提起 | ともあれ高野自身が関心の惹起した問題を提起し、 高野自身の一つの結論で結ぶ形式を貫いてきた積もりである。 とは言え、表現に正確を期すため、 ネットから確認引用した部分も決して少なくはない。 今、2005年当初のエッセイを振り返ってみると、 題材はハワイ棋院で打った碁のこと。 宇太郎先生との接点などのことから始まって、 結城聡先生や綠星学園など、碁の経験談がテーマになってきている。 余程頭にこびり付いていたのだろう。やはり無いものは出てこない。 |
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川端康成 |
ここに「本因坊週秀哉名人引退碁」別冊がある。 秀哉名人と木谷実の記念対局を呉清源の解説という最高の舞台を ノーベル賞作家・川端康成の観戦記である。 美しく端正な文章でしかも力強い。 そのような絶品と比べようもないが、 かく申す評そのものも如何かと問われるというものであろう。やむを得ないが 悪筆は良筆を駆逐したりしないし、生地の悪筆がそのまま留まっている。 |
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碁とは何か | 碁が強くなりたいなら、「碁とはどういうものか」を追求しなさい」 小山靖夫九段からの秘伝である。 「あ、これだ!」とハタと膝を叩いたとき、一目上がる・・・・と聞いた。 その追求の姿勢である。
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健康スポーツ |
別に準エッセイとも言うべき「健康・スポーツ」欄がある。 高野自身の健康の為の取り組みに、健康保持・快復のための手段と実践。 スポーツによる健康増進などをその都度実践したり自問したりしながら 記述してきたもので、むしろ「高野健康エッセイ」の内容を体している。 その中には取捨選択した場合、破棄すべきものも散在しそうであるが 一つの歩みの足跡として、そのまま残している。 |
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棋譜・手談 |
碁は勝敗を争うものであるが、決して勝敗だけではない。 どのようにして、どのような碁が創作されたか! これが大事だ。 囲碁は別名・手談とも言う。心は白黒両者の碁石が編み上げた棋譜は そのもの自体が「囲碁エッセイ」を物語っている。 また、打ち碁の棋譜をふんだんに記載している。評の評も臆せず載せた。
棋譜の記載はプロの碁ならば20でも30にでも分割して記載出来るが、 アマの碁は一般に4分割が限度とは囲碁ジャーナリズムの弁。 さもあらん。でも楽しさが違う。 碁敵と仲良く囲碁を囲んだそのこと自体が至福の文化なのだ。 |
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百人百局 | 時は今。このたび新しい「百人百局」を企画することとなった。 ここに2015年8月25日、予定通り希望に満ちた船出をした。
私にとって「百人百譜」が生涯掉尾の取り組みとなっている。 ボン・ヴォヤージュ:Bon Voyage! |