日本の扇子が語る棋士との交流図

先生の心の通ったひと言が自筆の扇子となった。今は昔。懐かしい。
直接ご指導を受けて、戴いた諸々の扇子が主である。

                                         2015年8月5日

                                            高野圭介


 橋本宇太郎

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宇太郎先生には格別に眼を掛けて戴いた。
1978年中国訪問以来、楽しいことばかり続いた。

関西棋院普及功労賞や東レエクセーヌ碁盤開発など、
宇太郎先生には思い出多いことばかりだ。


橋本昌二

 


守 拙

昌二先生はふるさと山崎との碁縁が深い。台湾から引き揚げてこられて、
ご尊父・国三郎師に連れられて、幼いときからたびたび来られていた。
幼くても強い。指導碁を打っていたとき、トイレに立って、なかな帰ってこない。
階段の下で、オモチャで遊んでいたという逸話がある。

守拙会は尾立、前田さんらと立ち上げた囲碁同好会である。


 宮本直毅




囲碁十訣

チョッキ先生と人の言う。豪放磊落で、人の悪口は決して口にしない。
直毅先生と同行して、秀行先生の寓居に投宿した。
階上で、秀行先生がスキヤキの用意をして、ご馳走になった。

その時、盃を戴いたが、返盃すると「ただ今禁酒中」とのこと。
酒の臭い紛々の場で、一口も付けられなかった・・嗚呼!


 結城 聡




初 心

神戸新聞社から、結城初段が誕生した。
一ヶ年間面倒を見て欲しいと懇請された。

その年、遠路泊まりがけで私宅まで通われたが、
その時、JR列車時刻表が片手にあった。・・・今の趣味となっている。


坂井秀至

 


己に克つ

私が初めて対局したのは、中国縦貫道八市町対抗戦のとき、
三田大会に主将として参加された坂井青年との対局でした。

後日、愚息雅永が三田市に赴いて、何局か打ちました。
そして、2010年の碁吉会創立20周年のとき、壇上にて
碁聖:坂井先生との公開対局でした。


村川大介

 
 


努 力

村川先生が未だ小学5~6年の頃、芦屋のポンポコ山で
囲碁合宿されていた。
早いし、強いし、まるでプロの碁だった。

先だって、医師会の創立10周年記念碁会でたまたま先生とペアを組み、
決勝戦で涙を呑んだが、生涯の記念対局となった。


余田一雄

 



精 妙

尾立源二山崎保健所長が前田豪一兵庫県林業試験場長と共に、
「守拙会」を立ち上げた。小生も参加を要請されて、鋭意碁に邁進した。

後日、綾部で、尾立医院を開業されることになり転居された。
たまたま、福知山には余田一雄プロが居られて、尾立医師の師となった。
私たちも遠路はるばる綾部に行き、福知山へ行った。

尾立 源幸 のこと。
尾立源二医師のご子息が現今、和歌山の参議院議員・尾立源幸である。


 
家田隆二




巧 如 拙

碁吉会が1993年、箱根大会を開催した。
その時、初めて碁吉会にプロの先生が登場した。
先生のご意向は「一緒に楽しく碁を打ちたい」というものだった。

以降家田先生とは二十数年間、この大前提は代わらず、
先生の誠実一路のご指導が、細く太く長く連綿と続いている。

曰く、家研、隆研。。。私は指導碁200局になった。


橋口美香

 



夢 中 夢

夢から覚めてみたら実はそれも夢で、また夢の中で
自分が活動している夢を見る、というのでしょうか。

「夢のまた夢」・・夢の中で夢を見ているような、という太閤さん。

美香先生・・・ミカセンセ・・・は碁は夢の中でも見るもの?
美香先生から戴いた公案ですね。


 滝口政季

 滝口磯子




遊 芸

磯子先生はかっての・・・関西棋院のアイドルだった。

イソコ先生が「碁は空気伝染するんだよ」と言われるので、
「へー、イソコ先生の言葉?」と聞いたら、、
「宮本直樹先生から聞いた」ちょうど傍に直樹先生が居て
「宇太郎先生から聞いてんだよ」と言われた。
ちょうど傍に宇太郎先生が居て、「あはっはっっh」

中山典之  


ハートの珍瓏

中山先生はセンスのある棋士。「ハートの珍瓏」(左)と「囲碁のいろは歌」
2005年、中山先生とご一緒にチロルへ行ったことから始まった。
良き仲間に、中田良知さん、塩沢孝子さんが居て、「離れへんで」という
楽しかった碁吉会が始まった。

2009年11月、東京はpair碁大会の後家元・中山先生邸に遊んだ。
哀しいかな、それが永久の別れとなった。

  
細川千仞

石井邦生

山下順源




無 礙

細川千仞先生には大阪スポーツマン倶楽部で、ご指導を受けた。
依って、五段の免状(唯一、日本棋院の免状)を戴いた。

先生は古武士の風格が漂い、「碁は断にあり」と喝破されたことで著名。

お弟子さんの山下順源先生には子どもたちが一番お世話になった。
石井邦生先生には関西棋道会で薫陶を得たものだ。


本田邦久




羚羊掛角

本田邦久は橋本宇太郎先生門下。直毅先生の弟弟子である。
1983年のNHK杯囲碁トーナメントで、武宮正樹を下ろして見事優勝された。
優勝記念に、千草の山に登った。

「羚羊は角を掛ける」とは、敵が襲ってきたら、重い角を持ち上げなくても
良いように、眠るときに、角を樹に掛けて眠るのだそうだ。

用心第一・・・の意。