碁はゼロからの出発 ・・囲碁に見るビジネス戦略・・ ー人生は一局の碁なりー cf:肉キラの骨キラ 大阪商業大学総合経営学部第2回シンポジウム 高野圭介 、とても高度なシンポジウムであった、パネラーもさることながら、 谷岡一郎・コーディネーターや岡部弘・コメンテーターが いよいよ鮮やかなシンポジウムを構築していったと思った。 |
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「ゼロからの出発」 |
何という素晴らしいシンポジウムだっただろう。 碁は盤上に「ゼロからの出発」というのが耳新しく、唸った。 「ゼロの発見」に先駆した古代インドは同時に、チャトランガ発祥の地だった。 チャトランガは西進して、チェスになり、チェッカーとなった。 変形した象棋は東進して東南アジアのルートを経て日本にも伝来したが、 途中、各国に一つずつあるといわれるそれぞれの将棋に変わっていった。 さて、碁は、というと、 昆明に碁盤山があり、道教の仙人の出てくる 自然論から自生したとさえ思わせるチベット経由、囲碁発祥の謎がある。 ひょっとしたら、 チャトランガが囲碁のルーツであったかも知れないとも推測される根拠である。 その囲碁が、中国では四つの隅に石を置いて打たれていたが、 宋に取って代わった元の騎馬文化は、中国文化・琴棋書画を棄損した。 明の高祖が「唐宋復活」を旗印に詩歌管弦・琴棋書画も陽の目を見た。 時を得て、14世紀、地下に潜っていた囲碁の復活である。 そのとき、盤上から忽然と四隅の石が消失し、 いよいよ、置き石のない 「ゼロからの出発」が始まったのである。 16世紀、日本では最初から、 「ゼロからの出発」で、定着していく。 私はこのことに思いを寄せながら聴き入っていた。 |
高野圭介作「布の碁盤」 皇女・和宮持参「梅の碁笥」 |
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碁は知的スポーツ | 碁は知的スポーツ(mind sports)です。 知的ゲーミング論の素晴らしいモチーフになっています。 囲碁に打ち込むことによって、単に碁が強くなるだけでなく、 一定の時間集中力をつけるおとの訓練になるし、 それは精神力を涵養するという効果も現れてくるものだ。 |
盤上に 「ゼロからの出発」 |
また、碁の素晴らしさは盤上に「ゼロからの出発」というのが、また良い。 ゼロの時から、構想を以て、発想と戦術を駆使しようとする。 元々新石器時代から戦略はあった、と、されているが。 将棋、麻雀、トランプ、ほとんどのインドア・ゲームは初めに用意ありきだ。 このところが、碁は違う。 |
ヨミとは よーく考えるということ |
どうしても自分を贔屓目に見てしまうのが人情である。 だから、希望的観測として、妄想の世界に入ってしまう。 ヨミに欠陥がないかと調べるのも良いが、 どう考えるか・・・の前に、 果たして、それを考えなくてはいけないかも考える。 |
碁を楽しむということ | 碁を打つこと自体もだが、碁を外で遊ぶことも良い。 たとえば、碁吉会で実践中の 「フリスビー碁=輪投げ碁」とか、「囲碁替え歌」や 「囲碁カルタ(中山典之監修)」「囲碁俳仙句会=碁句道会」 「テニス」「ゴルフ」「ワンゲル」・・・・開会中は「禁煙」「早朝散策」などは 碁も老化を防ぐと言われるが、これらは脳の活性化に大いに役に立つ。 まさに、私たち碁吉会の依って立つ原点そのものである。 |
一.対局に当たって考えることは各人違う。 @さて、今からどんな楽しい碁ができるか、わくわくしながら待つ。 Aそれは考える材料があるかどうかの問題で、たとえば、 相手が誰であるか、それを考えていると、重苦しくなってくることもある。 |
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・・・囲碁・・・ 二律背反の世界に思う。 |
二.碁を打つときの姿勢の問題である。 @碁は礼に始まり礼に終わる。 Aビールを飲みながら打ったりして、楽しめればいい・・・ この二つの立場はどちらでないといけないというのでなく、 良いとこ取りで、取り組めば良いのではないか。 |
三.結果に対する対応の問題である。 @勝負が見えたら早々に投了するという、投了の美学。 A少々悪くても、一縷の望みが残されていたら、耐えて逆転を狙う。 Bまったくダメの局勢でも、どれだけ差を詰められるか、それもゲームだ。 これは個人の価値観の問題かも知れないが、 民族性の習性に近い問題なのかも知れない。 |
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囲碁と経営 |
さて、経営について、結果に対する問題は、特に、投了について考えてみる。 本来、物事は「人事を尽くして天命を待つ」べきもので、 失敗したとき、ほんとうに全力を尽くしてきたか、 努力してきたかを自分に問え。 とはいえ、結果が絶対に付いてくるとは言い切れない。 企業は結果を問われるから、老人はいち早く去らねばならない。 |
あってはならないのは倒産だが、 転職・転配・リストラもその部類に入る。 もし、リストラに踏み切った場合、 経営者も当然それに殉じなければならない。 世に「ニート現象」というものがある。 世界各国に共通の現象で、中国にさえある。 それには 何をしていいか分からない者に興味を持たせることが必要で、 自然との触れ合いが大切だ。 昨今、ときめきの研究なども起きているが、かといって、 ギャンブル依存症では解決しないばかりか、更に深刻になる。 |