キラリ! 悠斗君の石の光



                                        高野圭介

 
坂井・結城・村川

三少年との対局


 先日、念願の悠斗君との対局が実現した。結果は予想通りであった。
盤上には悠斗君の石の光がまぶしくキラリ!輝いていた。

 私は清々しい気持ちで、私が今までに打った少年たちとの忘れられない
対局が去来して、しばし佇んでいた。

 
 

 それは最初、坂井秀至少年と1982年頃、中国縦貫道八市町対抗戦の時、
坂井少年が三田市主将で、私が山崎町主将で激突。キチッとやられた。
碁吉会創立20周年の時、坂井秀至碁聖との公開対局をお願いした。

 1984年神戸新聞社学芸部からの依頼があって、
プロ入段ほやほやの結城聡(1972生)中1少年と一年間ご指導を受けた。
「結城定石」と命名した変化は今なお新鮮である。
結城聡九段第25期鶴聖戦優勝祝賀会 2003年5月30日

2000年前後の頃、浜辺荘さんのお招きで、
兵庫県西宮のおたふく山での囲碁合宿「トントン会」に参加した。
中には小学5年生の村川大介少年がいた。
そのときの対局はグイと捻られ鮮烈であった。

少年と対局したのはこの三人だけだが、三人ともに見事にやられた。
そして、言い合わしたように、この三人は全日本のチャンピオンになった。

 二人の少年少女  
1978年夏、神戸新聞創立80周年を記念して、橋本宇太郎総帥を最高顧問とした
日中囲碁使節団が北京・天津・上海・広東と4連戦した。
私もその一員として参加した。上海でのことである。

対局した相手は銭宇平少年。
全国囲棋個人戦優勝、世界囲碁選手権富士通杯準優勝など。
地に辛くヨセに強い棋風で、渾名は「鈍刀」。1999年より病気休業。


青木喜久代が未だ小学5年の頃、菊池康郎・緑星学園にて、
目の前にビョコンと座って3子を敷いた子が居た。
たまたま大石を取って勝ったとき、「お兄ちゃん、敵取って!」と消えた。
替わって表れたのが、紳一兄貴。

 井山裕太少年


このたび、
悠斗少年小3と打った。こてんぱんにやられた。
対局直後、不思議だが何とも言えない爽やかな気分に浸っていた。
この感触は村川少年にやられた時と不思議なほど重なって記憶に残る。


 感触といえば、1998年因島に井山裕太(当時9歳)を迎えて、
碁吉会を開催したとき、村上文祥を相手の公開対局に臨んで、
平常心のまま端然とした裕太少年を私は見ている。


因島での井山少年

今日も盤を前にした悠斗君の気負わず落ち着いている。
見ると、上背がないから堅い椅子に正座している。
そのまま何時間も座ったままだった。凄い!。
キラリ輝く眼がくまなく盤面を見詰め、照射している。
気力充実しているが傲慢では決して無い。
まさに井山裕太少年の平然とした姿を彷彿させていた。


 
悠斗少年と巨匠



 振り返って、一時代を築いた巨匠はやはり、双葉より芳しかった。
橋本宇太郎総帥は小学校の往復の道から
碁会所を覗き見して自然に身に沁み込んだと言われる。

直近では平成四天王の張栩・山下敬吾・高尾紳路・羽根直樹も
なべて幼少の砌よりひとかどの評価で天下に鳴り響いていた。



キラリ! 悠斗君の石の光・・・・ 良い子だなぁ・・・・
 


 


 


 


 


碁を覚えて、僅か丸3年。 近畿代表で全国大会へ・・・・とんでもない天才・・・





悠斗君の囲碁活動三年間の足跡一覧表

碁を覚えて、2年半で6段に・・・・驚異の足跡




祖母と2人3脚の囲碁行脚。とても良い子で、何の気負いもない。



 

高野圭介 vs 表 悠斗少年 との記念対局





対局記録



高野圭介  vs  表 悠斗少年(小3)

 第3局
 2017年4月3日   白 高野圭介 vs 黒 表 悠斗

 第2局
2015年9月22日     高野圭介  vs  5子  表 悠斗

 第1局  
2015年5月4日  高野圭介   vs   5子  表 悠斗少年


 



 
悠斗少年の資質と努力

 表悠斗少年が囲碁の道に於いて、
巨匠の歩んだ道そのままを独自の歩みで突き進んでいる現状を見る時、
悠斗少年の資質なり努力がこれを裏付けしているのを知る。

算数が好きというが、何でも出来る頭脳の持ち主などなど格別である。
これらの天性のもたらす賜物に加え、プロの棋譜並べ、詰碁との取り組みに
営々と勤しむなど惜しまぬ努力を注ぐ姿もひとかどのものでは無い。

 とりわけ詰碁に滅法強いこと。つまりヨミに自信があること。
技術的なことがなべて理に適って身に染み込んでいること。
「碁とは何たるものや」と碁の本質をしっかり把握できていること。
今すでに申し分なく完成の域にある。




二面打ちもそべてノータイム。黒の石より白の打つ手が早い・・・・光る眼だけは盤中隈無く見回っている。


       


悠斗少年の歩む道


 碁を覚えて僅か三年(2014年~2016年)で、6段の棋力に達し、
関係あるプロから次々と院生への道を示唆されているとか・・・。

悠斗君ご自身も「プロになりたい」と新聞紙上に意思表示をしている。さもあらんさもあらん。

 一方、手ほどきから日ごと温かく見守っている祖母・井上泰子さんは「院生になったら
一般の碁会で出られない。もっと碁を楽しんで欲しい」との一念から
アマの領域を堅持しながら碁に対する姿勢を貫いていこうというスタンスである。
もっともなことだ。

 ただ、人生は一過性、二者択一の世界。悠斗少年の歩みは予測付かない。
ただアマ・プロの域を問わずどの道を進んでも必ずや頭角を表し、
近い将来にひとかどの成果を挙げ、然るべき足跡を残すに相違ないと断言して疑いない。


    

悠斗君の初サイン  2017.04.03 in Suma