須棄・須相応・・・座右の銘


宇太郎先生薫陶のあれこれ



宇太郎先生に囲碁十訣について伺いましたところ、次のように言われました。
「逢危須棄ですかね。ああそうですね。逢危は要りませんから須棄だけで良いでしょう。
もう一つ、動須相応ですね。これも動は不要で、須相応だけでいいです。」と。

爾来、私の座右の銘に「須棄・須相応」が定着している。


「囲碁エッセイ」

・・・囲碁解析あれこれ・・・




                                                         高野圭介




宇太郎先生の指導碁集

火の玉宇太郎・不死鳥宇太郎・反骨宇太郎・天才宇太郎・・・の異名を持つ

 
先生の指導碁の棋譜数十譜がどこかに仕舞い込んでしまったらしく、
手元に見当たらないのです。哀しくてたまりません。


 昭和57年1982年

10月10日 高野宅




3子 高野圭介

白 中押し勝ち 

5子 古川 茂

白 8目勝ち 

5子 山中陽一

白 中押し勝ち 

5子 薄木浄道

 白 中押し勝ち 

昭和59年:1984年
神戸新聞社 社長室隣・応接間

 学生OBと古稀の巨匠
月刊碁学1985年2月号より抜粋・転載


橋本宇太郎総帥

vs

 3子 高野雅永




200手以下略233手完

黒8目勝ち



 
初めて宇太郎先生に接したのは、1978年の初夏、神戸新聞創業80周年記念行事として、
囲碁使節団を送り込むことになった。幸い私が姫路地区囲碁名人の称号を冠していたので、同行することとなりました。
その説明会の席上、宇太郎先生、家田隆二先生にも初めて接したわけです。

 思い出いっぱいの中国囲碁ツアーの間も、その後も、宇太郎先生との碁縁がいよいよ深まって参りました。
 関西棋院普及功労賞第1号を授かったり、東レエクセーヌ碁盤が私のオリジナル作品としてこの世に産まれました。
 更には、大阪での「雨洗会」のメンバーとして、碁のご指導にも預かりました。
このようなとんでもない窮鳥を先生の広く温かいご心情で引き回しいただき、先生の晩年、
得がたい薫陶に浴する光栄に預かったものです。

宇太郎先生ご来臨の結婚式



宇太郎先生には愚息・雅永の長田神社での結婚式にも賑々しくご列席戴き光栄に存じております。
本当に、公私共々ご厚誼ご鞭撻に与って、座談の名人・宇太郎先生の語録も豊かに残っています。

04 
天才宇太郎・達人の眼力

 次の着点は迷わず一点にしぼってヨム
06
まぼろしの免状

「ハワイ棋院六段位」「そこもと免状」「秀行免状」
23
無心で打つ

逆もまた真なり・・・・勝つ決意が勝ちを呼ぶ
148  
相応ずべし

 筋・形に則って有機的に自在に反応すべきこと
228  
天下の名勝・西湖に遊ぶ 

 西湖景色是如此美麗  晴天的西湖景色宜人
334
家田隆二八段・プロの味

高野圭介のスパイシーでは坂井秀至・結城聡プロが強烈な関係
366
天元の歴史

日本では、平安から鎌倉にかけて、「中の聖目」と呼ばれていた。 
450
天才宇太郎の殿堂入り 

宇太郎先生の快挙は遅すぎた感さえある。
493  
宇太郎先生の天才たる所以

 宇太郎先生の私への指導碁に、井山:柯潔戦が潜んでいたとは
アマの目
橋本・山部両天才の対局

「第二手のケイマ受けが敗着!気合いがない!」と断言された。 

 ほぼ日にち順。作品記載順。