時を超えて 年頭に思う 自分に問いながら、限界ギリギリに挑戦したい 2014年元旦 高野圭介 |
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時間の粒子 |
去年今年つらぬく棒の如きもの 虚子 時間の粒子が頭もしっぽも無く、シュンシュンと秒速30万㎞の 超スピードでどこへともなく連なって、永遠に突っ走っていく。 それなのに、 年末年初は、何かしら一区切りがあるように感じる。 でもその区切りを棒の如きものが貫いているようだ。 正月三日間は日本独特で、中国では春節、欧米ではクリスマス、 そのように感じられるが、心改まる人もあれば、無礼講で終わる人もある。 それぞれがそれぞれでいいんだなぁ。 |
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マンスリー24 |
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柔人82号 |
長田の駅前近くに、鉄人28号が建っている。 28をひっくり返して、私は柔人82号で須磨界隈に屯している。 2014年8月で、83号となるから、鉄人28号とは無縁になる。 碁もテニスもゴルフも歳を取ってきた。 今上手くいったことが、次の瞬間に上手くいかない。何かが寸断されている。 その何かが命なのかも知れない。 医者に「脈が飛んでいる」と言われた。つまりときどき脈が切れているのだが、 次々押しかけてくる次の脈に押し出されて、事なきを得ているようだ。 これと運動神経の寸断、あるいは命の寸断とは同質なのかもしれない。 |
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分厚い交流 | 同年配の友人もほとんどが問題を抱えている。加齢の成す業である。 個体維持と種族維持。それには同世代交流はもとより、 異性交流、世代交流が無くては時の流れに同化して生きられない。 さいわい私はテニスでもゴルフでも水泳でも、さまざまなグローバル交流がある。 囲碁でも、碁吉会やインターネットのお陰で分厚い交流が展開されている。 何にも代えがたい喜びである。 |
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2014年 の課題は 限界ギリギリ |
筋骨の若さは即頭脳の若さだ。つまり、肉体の健康が無ければ 脳だけ元気ということはありようが無い、ということだ。 運動も「ほどほどにわきまえて」と言われるが、 少々やり過ぎでないと存分に出来ないし、言うべくして難しだ。 さあ、悠遠の宇宙から見れば、人生って一瞬の時間だ。 空気の中、水の中も同様に仲間と手を繋いで一緒に歩んでいこう。 例えば、 富士川のクエ :500㍍を泳ぎ切る。(年末に、300㍍達成) 六甲のもぐら叩き :ゴルフで80台のスコアを出せないかな チャランポアのサービスエース:開発し、身につけるテニス。 筋違いシチョウヨミ:碁はヨミにポカが出るから途中休むこと。 他愛も無い些細なことであるが、私にとっては一大事。 健康寿命を延ばすために、いよいよのところは、 自分に問いながら限界ギリギリに挑戦したいものだ。 |